セルフキャリアカウンセリング風自己紹介

 
2012*05/20 中西 秀夫

 
 
 以下の文章は、私が2012/02/23に、3年間の社会人経験をされた皆様に対するキャリアサポートワークの講師として、セルフキャリアカウンセリング風に自己紹介したものを再編集したものです。
 
 私は、不完全で欠点の多い自分を述べてありのままを理解していただこうと依存することは、不遜極まりないことと承知しています。しかし、ここで述べるのは、人間として弱い部分や情けない部分をもっていても表に出さずにいられるようになり、やがて時間と共に昇華し、少しでも自己信頼感をもてるようになれるのだということを、私のつたない体験をとおしてお伝えしたく記しました。
 
 


<おはようございます。中西秀夫です。>

宜しくお願いいたします。
私は、見た目のとおりの、ごらんのとおりの人間です。

<仕事について>

現在の仕事である「中西人事労務研究所」を開設したのは、1990年42歳の時で、この仕事に、身を捧げて21年、63歳になります。
身を捧げるというのは大げさなようですが、寝ても覚めても世のため人のためという志を持って行動してきたのでこんな言い方になってしまいます。
 
仕事の目的は、@働く人のサポートと、A組織のサポートです。
従って、人生の問題すべて、経営問題すべて、という二つの領域となります。
手段となっている資格は、特定社会保険労務士・産業カウンセラー・キャリアカウンセラーです。
 
中西人事労務研究所開設前までは、生まれたときから3代目木材問屋の跡継ぎ息子として育てられ、当然のようにその路線で、経営者として仕事をしていました。

<千代田区神田の生まれで江戸っ子なのですが、その割威勢が悪いです。>

性格は明るい時もあれば暗い時もあります。動揺することもあります。
ツボにはまると持ち味を発揮できますが、そうなるのに多少時間を要します。
 
人間である以上、様々な欲や、野心や、満たされないあこがれや羨望に苦しんだり、
また、人の世の悲哀に打ちのめされたり、絶望感などに織りなされたり、未熟であるが故動揺したりする。
それが普通の姿だとは思いますが、私もその例外ではありません。
 
挫折もあるし、正しいと思って言ったことが他者を知らずに傷付けてしまう経験もあります。
だからこそ悩み、またそこから立ち上がってきた経験もあります。
従って、皆さんの、悩み・気持ち・立場に、共感を持って理解しようすることができます。
こんな私ですが、今日明日の二日間、講師を努めさせていただきます。

<趣味はちょっとオタク系+ハーレー>

子供のころバイオリンをやっていた経験から、クラシック音楽で特にオペラ、それから最近は歌舞伎が好きです。年に10回くらいコンサートに行きます。
回数はそのくらいですが、モーツアルトや歌舞伎解説のエキスパートのような、特技レベルになっているわけではないです。
 
なお、最近の趣味は、鉄馬ハーレーに乗ることです。
子供の頃自転車も禁じられた私ですが、バイクの話をする笹川さん(川上産業経理総務部長)があまりにも楽しそうで、その影響を受けて2010年の夏、大型二輪免許を取得しました。
初バイクがハーレーです。
富士山・伊豆・奥多摩へツーリングし、普段は町乗りしています。
 
この趣味は、自分の殻を破ることに繋がりました。
自分の経験や思いこみで作っている自分の殻を破るのは、とても楽しいです。
自分の殻とは、これから研修のなかでみなさんと学んでいきますが、「自分とは何者か」という「自己概念」にちかいものです。
それは重要な他者によって作られることが多いものですが、その自己概念を、自覚的かつ自分流に機能的認知となるように作り直すことが、キャリアデザインです。
この時期を、転機、キャリア交差点、節目などという言い方があります。この先、従前のものの見方ではたちいかなくなるときに必ず来るものです。

<「殻破り」の原点は、「6年間の中立圏」>

さて次は、ハーレーという趣味による「殻破り」体験の原点になった、1990年の私の転機についてお話しします。このときの中立圏を抜け出るのに6年という年月が必要でした。
中立圏とは、終焉と開始の間のグレーゾーンのことです。
 
1990年(当時42歳)の時、前職の木材卸問屋の中西木材という会社の社長をやめ、現在の仕事「中西人事労務研究所」を開設したのです。
新しい世界で自分の力で生きるのだと、えい!と国家試験を受験し、中西人事労務研究所をたちあげるのです。
しかし、前職をやり遂げたはずなのに、少年時代から育まれた跡継ぎとしての心に、思い残しがあって、現在の自分を肯定的に受け止め、さらに現状に甘んじることなく現状を超えていこうとするような、ひたむきさや、前向きさがどうしても湧いてこないんです。
 
世襲的キャリアから離れることの葛藤、心理的に言い替えれば、親の愛をつなぎ留めようという気持ちと、まあ自分のやりたいようにやろうという気持ちとの両面感情。
これらを吹っ切ろうとして、過去に蓋して力ずくで新しい仕事に入るのですが、形しか整わないのです。
前のことに心の折り合いがついてないし後悔もひきずっているので、心のスイッチが入らない。仕事も、ちっともスタートしないのです。
そうしているうちに、いつのまにか6年が経っていました。
 
それは、世襲的なキャリア、つまり代々中西家の描くシナリオを、自分で意思決定したストーリーに書き替えるのに6年かかったということなのです。
これが、私の42歳節目に於ける、終焉と開始のグレーゾーン、即ち中立圏です。
少し長い時間(1987年〜1993年)かなとは思っていました。

<では、どうやってこの6年を過ごし、キャリア交差点を渡ったのか?>

それは、曲がりなりにも行動し続けることで、
(1) 転機・キャリア交差点・節目・中立圏 の自覚
(2) キャリアの統合プロセス (seeds wants needsの統合)
(3) プランドハップンスタンス(必然的偶然)
3要素を体験したことです。

<@転機・キャリア交差点・節目・中立圏 の自覚について>

今思えば、1990年42歳当時に上述の3要素を体験したといえますが、当時はまだこういう概念を知りませんでした。生い立ちや親子の関係性など私自身の問題解決のために、カウンセリング心理学に多くの時間を使って学んでいました。
 
この長い中立圏の10年後(2000年)、自分の心の問題に整理がついてくると、もっともっと働く人をサポートしたいと強く思うようになり、ごく自然にキャリアカウンセリングに行き着きました。これが第2回目の転機です。心理学からやや距離を置くことになりました。
 
さらにその10年後の2010年、第3回目の転機です。仕事いちずのマンネリから60歳の節目でハーレーに乗って中立圏を超えた。それが、みなさんの目の前の私の姿です。ごらんのとおりの人間です。

<Aキャリアの統合プロセス (seeds wants needsの統合)とは、>

いつか必ず来る次の転機に向けて、充分にseeds wants needsを統合し、自分を確認し、あるがままの自分とこれから出会うであろう必然的偶然との繋がりのあるストーリーが始められていく「素地」を作っている過程です。永遠に続きます。seeds wants needsが一致することはないからです。
この研修で皆さんは体験していきます。

<Bプランドハップンスタンス(必然的偶然)>

私には決して多くはないですが貴重な出会いがあって、その上で今があります。
その出会いは不思議な偶然なのですが、振り返って見れば必然です。
10年ごとに行き着いた中立圏において、確認した「志」どおりの出会いなのです。
 
人生は、偶然で決まることが多い。でもその偶然をものにする人は、志のある人なのです。
志が、選択という意思決定をさせるからです。

 
 

みなさんは、社会人3年経過の節目でもあり、現在のご自分をこの3つの概念を通して確認していかれることで、やがてまた来る次のキャリア交差点でもいかしていただければ幸いに思います。
 
以上、キャリアカウンセリング風に自己紹介させて頂きました。

 
 

<以 上>

 

日時場所:2012/02/23〜24 川上産業株式会社 新芽卒業研修にて
参考文献:「見える世界と見えない世界(心理療法に於ける夢)
        学習院大学教授 川嵜克哲先生 著