コラム

第9話 私の殻破り(キャリア交差点の渡り方)~大型二輪免許取得とハーレー~2011-05-10

              ★写真:(上)我が師匠 歌浦一佳先生、(下)小森友花先生★


        大型二輪免許の取得とハーレー
~私の殻破り(人生3度目の中立圏・キャリア交差点の渡り方)~
                         2011/05/10 中西秀夫

<前書き>
人生はままならないこともありますが、できればおもむきが豊かで楽しいものとしたいものです。仕事でそれが叶うに超したことはない。いや、それが理想です。

さらに人生を豊かにするものとして、趣味もその一つです。
趣味は、単に趣味ではなく、そこには個人としての内的キャリア(たとえば職歴のような外的キャリアを支えているところの内面の価値観やこだわりのこと、自分とは何者かという「自己概念」でもある)が秘められているのです。

国分康孝先生の教えに基づいて言えば、成熟した人は、本能充足の快楽原則と諸般の事情たる現実原則を一致させている状態にあり、一致の状態を「昇華」という。その「昇華」のありようが、そのひとの自己概念であり、個性であり、自己表現です。それらが趣味にも秘められているのです。したがって、趣味は単に趣味ではないのです。

今回は、私がハーレーに乗るに至るまでに、思ったこと、出会った人について記します。


<我が師 国分康孝先生の教えについて>
私は今から20年前に、人事労務のコンサルタントをめざして「中西人事労務研究所」を開業しました。そして、開業して3年が過ぎ、まだ軌道に乗っていなかった45歳の時のことでした。我が師、国分康孝先生につぎのような言い回しで精神分析理論の人間観を教えて頂きました。
「本能充足の原理を快楽原則といい、諸般の情勢を考慮して行動するときの、その諸般の情勢を現実原則という。人間はイヌやネコ同様に快楽原則に支配されてはいるが、現実原則に従いつつ、快楽原則を満たそうとすることができる生き物でもある。その状態を昇華といい、快楽原則と現実原則が一致していることをいう。」

私は国分先生の教えに感銘を受け、以後、仕事が楽しくなる工夫をし、快楽原則と現実原則を両立させ、まがりなりにも昇華の状態を保つことに努めてまいりました。

そして私は、生涯を、本当に困っている組織や本当に悩む人のために身を捧げる決意をし、コンサルタント&カウンセラーとして働き続けました。それはたやすいことではありませんでしたが、自分が望んでやっていてそして好きなことをやれる喜びでいっぱいでしたので、苦労も全て喜びのうちでした。したがって、42歳の開業以来、3年前の60歳の年齢節目まで、人生上の問題意識はありませんでした。



<人生3度目の中立圏>
しかし、昨年62歳になろうというころには、「徐々にマンネリ感が生じてきて、なにかもの足りない。確かな事は、私が新たなチャレンジに向けて岐路に立っていること。しかしそのキャリア交差点は霧がかかっていてどの方向にチャレンジしていくか見えてこない。チャレンジスイッチは入れようとしているが心のスイッチが入らない。」という心理状態が意識に登り、私は、人生3度目の中立圏を自覚しました。

中立圏とは、たとえば学校を卒業して社会人になる時のように、転機(節目・キャリア交差点)においては、新しく入っていくステージ(社会人になること)に気持ちをむけて統合していかねばならない。しかしそれを頭では承知しているのだが、一方で去りつつあるステージ(学生生活)が終わって欲しくないと思っているため、葛藤している期間といえます。つまり、終焉と開始の節目において、前のことを終え、新しいことを始めるときの、宙に浮いたような状態のことです。

それは一瞬で解決するようで実は十分な時間が必要な時期なのです。たとえば、あんなに好きだったのに恋人と別れてしまったときや、とても大切な人を亡くしたときなど、人は客観的にそれを受け容れ立ち直るのに少なくとも3年かかってしまう。心理的には、終焉と開始の間にある中立圏は、いわば聖なる「喪の作業」の期間ともいえます。
私の62歳節目で感じた霧は、具体的なチャレンジ目標を探し求めるが故に生じた、過去への執着に対する解放の意思表示なのです。過去の延長線上の人生から脱するのに、テレビのチャンネルスイッチを切り替えるようにいかず、執着から新たなチャレンジに向かった、過去に対する「喪の作業」中の霧だったのです。これが私の、人生3度目の中立圏なのです。


<ナイスシニアを決意>
そんななか、こんな事を思うようになっていました。
「齢を重ねると、今までできた事ができなくなって他者に依存しないと生きて行けなくなるのはしかたのないこと。しかし、齢を重ねているからといって、当然に社会的サービスを得る特権があり、また当然に敬われる権利があって当たり前というような態度を、私は好んでいない。
世に、長幼の序が成立する条件は、年長者がかっこよく魅力的な年寄りであることだ。
そうだ、私は齢を重ねても、一人遊びができて、尊大な態度をせず、粋な初老の男性として、ナイスシニアを目指そう。それで世に長幼の序が復活するのであればなおよい。」


<どのようなナイスシニアをめざすか?>
こう決意した中立圏状態の私は、ある日顧問先の総務部長の笹川彰さんから、彼の趣味をお聞きする機会にめぐまれました。バイクがご趣味で、気ままなソロツーリングで1日500キロメートルも走るそうです。群れずにひたすらソロで走ることは、他者に依存しない緊張感があり、一方で帰宅した時の解放感もあり、これが醍醐味なのだそうです。

このお話しをお聴きした瞬間、私は、自分で勝手に作ってきた「ソフトな感じ」の自分の殻を破って、「スイート&ワイルドなナイスシニア(m<笑>m)」を目指して、自動二輪免許をとってバイクに乗ろうと決心しました。不安もありましたが躊躇はしませんでした。

さっそく、2週間後の62歳のお誕生日、恒例の家族食事会で、二輪免許取得を宣言したところ、妻は冗談だと思ったのか、あきれたのか、交通事故を心配したのか、言い出したら聴かない性格の私に反対を諦めたのか、無言でした。二人の子供は、仕方ない?といったニュアンスの微笑みでOKサインを出してくれました。(と私は解釈しました)。こうして、2010年4月21日から教習所通いが始まりました。


<二輪免許取得への道>
初めに目指した免許は普通二輪免許(二輪排気量400CCまで、マニュアル車の運転が許される)です。 技能教習は第1段階と第2段階に分かれており、第1段階は9時間のバランス基本走行を学び、第2段階は8時限、法規に則った応用走行を学びます。

子供の頃に自転車に乗るのも禁止された家庭環境でしたし、原付二輪も運転したことがなかったのですが、漠然となんとかなるはずと思っていました。しかし、1~2時間教習を受けるとたちまち不安になりました。忙しいギアチェンジ操作、曲がる時の目線、停止時の足つき動作、バイクの重さ、自動車とは格段に違うスピード感、大きなエンジン音、等のため、恐怖感があります。そのうえ、スラローム・平均台・クランク・S字・急制動という難しいバランス基本走行があります。これらバランス技術では、体重移動、視線、ニーグリップ、バイクの傾きなど、バイクと自分とが一体になる感覚が必要になり、そのバランス維持はひとときも固定的でなく、私の心身に、柔軟な集中力、タフな持続力を要求するものなのです。

特に、クランクではよく転び、平均台ではよく落下しました。1時間の教習が終わって二輪車から降りるとき、疲れて足があがらずシートに引っかかって転びそうになったこともありました。
自信をなくして気持ちが萎縮してくると、運転中の視線も下に落ち、ますます転びやすくなります。バイクは視線のほうに動くものだからです。
第一段階の初期に、決して口には出しませんでしたが、もしかしたら免許はとれないかもしれない、と思うことがありました。ストレスで、皮膚がかぶれ、ヘルメットをかぶっての炎天下の教習で体重は落ち、卒業検定で2回不合格となったときは若い指導員の先生にトラウマにならないようにと励まされ、笑ってハイと応えつつ、内心は落ち込んでいました。


<指導員 歌浦一佳先生の教え→「リフレーミング(reframing)」>
このような時、「自分がじっくり見てあげますよ」、と待合室でしょんぼりしていた私に声を掛けて下さったかたが、指導員の歌浦一佳先生です。

そのご指導は、待合室ではやさしい笑顔ですが、コースでは別人のように厳しいのです。
私は、前回の教習で指導されたことをイメージし、毎回強い意思をもって臨みます。しかし、いざ実際に乗車するとできが悪く、クランクの初期練習では、指導員の小森友花先生には「あたしの背中を見て走るのよー!」とラインどりをマンツーマンで連なって走る指導を受けました。
それでも上達できず、次の段階では歌浦一佳先生が私に車から降りるよう指示し、クランク走行での方向の目標とするべきパイロンを指定し、正しいラインどりを実際に歩いて指導して下さいました。しかし熱心なご指導にもかかわらず、何度やっても後輪が縁石に乗り上げたり、前輪が縁石に激突したり、そのうえ萎縮して視線も落ち、転倒を繰り返してしまうのです。転倒すると、ガソリンがエンジン内のプラグに被るらしく、多くの指導員の先生方に、エンジン再始動の際アイドリングの回転数を上げて調節するわずらわしい手間をおかけしました。

また苦手な平均台では、1ミリ単位の半クラッチ調節とアクセルを回して2700回転ぐらいに保つバランスのなかで、視線を上げて遠くをみて、肩の力を抜いて、臨むのですが、平均台に前輪が乗った瞬間のショックですぐバランスがくずれて落下してしまうのです。

こんなスランプのとき、歌浦一佳先生はつぎのようにおっしゃいました。
「このままでは、何回やっても練習にはならない! 中西さんが頭で考えている感覚で失敗し続けているのだから、もっと馬鹿になって、そしてもっと素直になって、指導されたとおりに虚心になって教えを聴かなければ、すべて無駄なことになるよ」と。
言葉は優しい言い回しでしたが、内容は厳しいものでした。私は目が覚めました。言い訳せず、正当化せず、馬鹿になって、素直に! です。これをクリヤーすれば、あとは自然に上達します。
習い事は何事も同じ、我を捨て去り、先生・師匠のいうとおりにすればよいのですね。

我々は無意識に、「事実」というものに対し、「意味づけ」を与えて生きています。
この、意味づけを変えることをリフレーミングといいます。
私の62歳節目におけるチャレンジ目標は、過去への執着に対する解放の意思表示だったはずです。
自分で勝手につくってきた限界を壊すのに、そして人生の枠を広げるのに必要なのは、まさにこの「リフレーミング」だと、歌浦先生の言葉で改めて気付き、目が覚めたのです。
テレビのチャンネルスイッチを切り替えるようにいかないのも、人生3度目の中立圏からぬけでられないのも、「リフレーミング」ができていないからだと。

カウンセリングでは、「リフレーミング」ということが重要なことは十分承知していたつもりでしたが、カウンセリング専門外の歌浦先生によって、再確認させていただいたのです。
おかげさまで、教習では特訓の成果がでるようになったのです。



しかし、卒業検定では、一度目は緊張して平均台から落ち、二度目は調子が良くスピードがのりすぎでスラロームの最終パイロンを外してしまい、2回も不合格になってしまいました。
このとき歌浦一佳先生はこうおっしゃいました。
「もういうことはもうないのだよ。卒検で1度や2度落ちたって鬼の首まで取られるわけじゃなし、普通にやるだけだよ。」
これで、開き直るしかないと悟りました。私自身の殻も破りました。プレッシャーを感じる暇があったら、言われた事を、素直に、我をはらないで、馬鹿になって、自己正当化せず、やるだけだと。
そして3度目の普通二輪検定終了後、合格者として名前を呼ばれました。

また、歌浦一佳先生は、普通二輪にも合格していないころ、次は大型二輪に挑戦したらと勧めてくださり、通勤に乗ってこられたご自分の愛車ハーレーを私に見せ、跨がせ、エンジンの音を聞かせて下さいました。
歌浦先生にしてみれば、私のモチベーションを上げて下さる目的でハーレーに触れさせてくださったのでしょうが、私は正直、大型教習車のホンダのナナハンの倍以上も大きいハーレーに乗るのは無理だと思いました。
でも、素直になることを学んでいた私は、歌浦一佳先生の勧めを純粋に受け止め、2~3年先にトライしようかなと思っていた大型二輪ですが、気が付いた時には、普通二輪合格と同時に大型の受講申し込みをしていました。
その後、大型二輪の教習課程に入ってまもなく、ハーレーの新車を見るために、歌浦一佳先生と共に先生が懇意にされているハーレーダビットソン新宿店に行きました。担当となった好青年の小松有仁さんが丁寧にひととおり1時間程度説明くださったあと、私はまだ大型免許に合格していない身分にもかかわらず、輝くハーレー(ファットボーイ)に跨った瞬間に契約書にもサインしていました。小松有仁さんが、炎天下を汗ダクになりながら、とっておきの一台として、ハーレーをトラックに載せて運んできてくれた姿に感動したからです。
今思うと、この一連の出来事はあまりに自然な運びで、私も随分と思い切りがよく、自分の殻を破る行動の一つだと感じています。


<愛車ハーレーに「ニルバーナ」と命名>
その後、普通二輪のときよりはスムースに大型の卒業検定にも合格し、免許証をいただき、嬉々として安全運転を誓いました。そして納車を待ちこがれた愛車ハーレーには「ニルバーナ」と名付けました。ヒンズー語で「安らぎ」という意味です。 名前通りの「安らぎ」を感じながらソロツーリングする心技体にはまだまだ達していませんが、かくして、私の殻破りが本格的に始まった次第です。
歌浦一佳先生、ありがとうございました。


<以 上>


追記(2011/05/07):歌浦一佳先生のご紹介で、山口豊さんという好青年とハーレーを通じて友人になりました。歌舞伎関係の照明等のお仕事をなさっています。ジョーカーと名付けられた彼のハーレーは、モダンでシャープで、紫と銀色が黒地に不思議な光と陰を放っています。私も我が愛車ニルバーナをどう育てていくか、思いをめぐらしている今日この頃です。



参考:国分康孝先生 筑波大学元教授 専攻 カウンセリング心理学
              ミシガン州立大学大学院博士課程修了 哲学博士


写真:北豊島園自動車学校 指導員 歌浦一佳先生
            〃        〃  小森友花先生
       友  山口 豊さん



              ★写真:友 山口 豊さんと彼の愛車ハーレー(ジョーカー)★