コラム

第4話 <カウンセリング心理学、中澤次郎先生との出会い>2007-03-27

【2006年2月17日中西人事労務研究所にて】
中澤次郎先生(左)+私(中左)+妻(中右)+篠原美代子先生(右)


中澤次郎先生 :元筑波大学教授
           NPO現代カウンセリングセミナー理事長
           社団法人日本産業カウンセラー協会顧問
篠原美代子先生:NPO現代カウンセリングセミナー理事 保護司






~社会保険労務士開業の3年後、カウンセリングの中澤次郎先生に出会いました。~



・社会保険労務士を開業(1990年)しても3年間は、仕事はありませんでした。看板はあげたものの事務所に引っ込みがちで積極的に動こうとしない私を、税理士の安井勝孝さんは歯がゆく思って、毎日のように厳しい口調で、講演やセミナー開催をやれとアドバイスくださいました。私に期待してくださったが故の発言であったことはわかっていたのですが、そのころの私には実行する気力がありませんでした。なぜなら、自分の過去をどうにか収めることにエネルギーを使い果たし、過去に生きていたからです。「今ここに」生きていなかったからです。


・家庭でも、私がバイオリンによって彼の人生を占領してしまった、その息子とのコミュニケーションで悩んでいました。そんな時、偶然、プロ野球チームの名監督の上田利治さんが「自分には家族問題があり、妻や子供それぞれに向き合うことができていない。そんな人間に監督が務まるわけがない。」として監督を辞任する会見がテレビで映し出されていました。それは実力者でありながらとても謙虚な姿でした。
私は感動すると同時に自分に置き換えました。「名実の有るかたが謙虚に自己批判している。凡人の私はもっと内省しなければならない。家族に向き合うことすらできていない人間に、人事労務の指導を他人様にできるわけがない。そうだ、いまから、全てに優先し、長男を理解するためにカウンセリングを勉強するのだ。」と叫んでいました。
その後、カウンセリング心理学を夢中になって学びました。それは私にとって喉の渇きをいやすのと同じことでした。
カウンセリング心理学とカウンセリングを継続的に学んでいく基礎を教えてくださった、中澤次郎先生をはじめ、篠原美代子先生、松山佽子先生、山本映子先生、古橋洋子先生、国分康孝先生、川嵜克哲先生、そして一緒に学んだ友人のみなさま、ありがとうございました。


・カウンセリング心理学を学んだのは、人に対するコミュニケーションが苦手であっても自分なりに生きればいいのだと自分を収めながらも、一方では、家族や息子との関係をよくしたい気持ちがあって、よい対話をするにはどうしたらいいのか、他者との対話が上手な人とはいったいどんな存在なのか、ということに大きな関心があったからなのです。カウンセリングを仕事に役立てることを目論んでいたわけではなかったのです。


・しかし、カウンセリングは人を支援するアートですから、結果として仕事に大いに役立ちました。自分自身が深く内省していく過程で、自身のバックグラウンドをみつめ、失敗力がはぐくまれ、その結果「キャリアアンカー」が確認でき、統合された自分を回復し、時空の繋がりの中で、新たなキャリアを踏みだし、捨ててきた可能性をもう一度拾いなおそうという意欲と自己信頼感が湧いてきたのです。


・カウンセリングを学びながら、もう一度、自分という生身の人間の心や生き様を手段として、世のため人の為に尽くせる仕事をしたいと、強く思うようになっていきました。そして、その後、仕事も少しずつですが、させていただけるようになっていきました。


・今思うと、私はカウンセリングの先生や一緒に学んだ友人にお世話になったままでなにも恩返しできていません。でも、いまでは、顧問先会社と働く<人>のために一生懸命仕事をすることが、先生や一緒に学んだ友人に対して間接的に恩返しになっていくと思い、毎日頑張っている次第です。



                                             <以上>