コラム

第16話 初動負荷トレーニングが私にもたらした二つの転機2014-06-05

   第16話  初動負荷トレーニングが私にもたらした二つの転機
            ~「脳力の転機」と「精神の転機」~

                                2014/06/05記 中西秀夫


<初動負荷トレーニング、鳥取合宿に初参加>
私は60歳になった2008年から、ワールドウィング池袋というジムで週3回くらいトレーニングして汗を流しています。このジムが依拠している理論は小山裕史先生が提唱されている「初動負荷理論」です。
野球のイチロー選手や山本昌選手も小山先生のご指導を受けていることで知られています。
ワールドウィング池袋では、ボクシングの村田諒太選手、ヨネクラジムの若手のホープ 引地昭裕選手たち、学生アスリートや社会人、それから多くの先輩諸兄姉、といったさなざまな人が、ともに和気あいあいで汗を流しています。

初動負荷トレーニングの本部は鳥取にあります。
私は先日(2014/4/23~2014/4/27)、初めて本部の鳥取合宿に行ってきました。
担当してくださった吉田光コーチをはじめみなさんから、鋭い観察力による熱いご指導と多くのご配慮をいただきました。
そして帰京後1ヶ月経過した今、私は鳥取でのさまざまなシーンを思いながら、東京池袋の付属ジムに楽しく通っています。

実は、4年前に大型2輪免許を取得して重量370kgのハーレーに乗るようになりました。このライディング姿勢も含め、その他若い頃から無自覚に続けていた不適切な動作やゴルフスイングやシューズなどいろいろな要件が重なって坐骨神経痛に悩むようになったのです。しかし、お陰様で今回の合宿の成果は、3年前の一番悪い時を100とすれば、鳥取最終日の坐骨神経痛は、合宿前40位であったものが合宿後25~10位の状態になり飛躍的に改善しました。



<「ふかふかのソファー」によって3年前の悪夢ふたたび>
ところが東京に帰ってから2週間経過後の日曜日(2014/5/11)、新宿の老舗ホテルの最上階のラウンジで学生時代の友人と42年ぶりに会い、「ふかふかのソファー」に、これは腰に悪いなと内心思いながら3時間座って歓談したところ、案の定、帰りにはお尻の奥にしびれをともなう腰痛で、歩くのもつらいアクシデントに遭遇しました。
即座に、3年前の悪夢を思い出し、このたびの鳥取合宿トレーニングでかなりよくなっていたのに、もう再発してしまったのかと、とても暗い気持ちになりました。

3年前の悪夢とは、畳の部屋で行われた、ある会議のことです。「あぐら」がかけない私は横座りでしのぎましたが、その会議終了と同時に坐骨神経痛を発症し、回復に3年かかってしまったのです。



<信じられない回復の早さは、「脳力の転機」による?>
そこで、学生野球選手時代から初動負荷トレーニングの鳥取合宿で荒川コーチの指導を受け、いまは鍼灸や手技でこの1年間私の治療をしてくれている石川容道さんという好青年に身体を調整してもらいました。その上で東京池袋のコーチングスタッフに報告しながらトレーニングしたところ、1週間も経たないうちに、痛みがスーっと引きました。
前回の発症から回復に3年かかってしまった経験からは、とても信じられない早い回復でした。

この回復の早さは、自分でいうのも変ですが落ち着いて考えると、鳥取合宿の吉田光コーチのご指導がある程度身についたことにより、東京に戻ってからのトレーニングの質も上がり、それが日常生活上の動作や姿勢の向上へと繋がり、自分でも気づかぬうちに相互相乗効果的に体調が改善されてきた証左だと解釈しました。(これについては池袋の加藤コーチも認めてくれました。)

小山裕史先生の説かれている、良い動作と筋肉と反射神経を統合するために重要な「脳力向上」、これが肯定的な経験として脳に蓄積されつつあるという推論です。(この推論は、合宿まえに、達郎コーチがペルビスというマシンの動作指導中に私に投げかけてくださった「よい動作をリズムよく、さらにその経験を脳に繋げましょう」というコメントがきっかけになっています。)


このような「初動負荷トレーニング」の理論と実践に関する私の解釈や推論が、もし間違っていなければ、鳥取合宿は私にとって、「脳力の転機」になったと思っています。



<吉田光コーチの志から学ぶ、「精神の転機」>
また一方では、「精神の転機」になったと感じる点があります。
それは、吉田コーチの鋭い観察力によるマシン動作やウォーキングの熱いご指導はもちろんですが、ご一緒にウォーキングしながらお聴きした、吉田コーチご自身のアメリカンフットボール選手時代の体験談、鎖骨骨折により1週間で7kgもお痩せになったこと、所属チームにおける治療的トレーニング方針に対する違和感、けがから立ち直る過程で考えた将来のこと、膝をいためて合宿に参加していた島根県大社高校サッカー部の下垣くんと吉田コーチとの対話、などをお聴きするなかで感じました。

吉田コーチはきっと、様々な出来事の度毎にご自分の「志」を確認され、それを原点にして今ここで熱くコミュニケーションし行動されていらっしゃるのではないだろうかと思います。

そう思っていると、25年前42歳のときの私の心が投影されてきました。私も、世襲的キャリアから現在の仕事にキャリアチェンジしていくプロセスで、ことある毎に自分を貫いている志を確認していたなと。

そして、25年前を思い出しつつ今再びそれを確認して、プラトー状態克服をあらたなテーマにしていく気概を持とうと思った次第です。
これが私の「志の(再)確認」による「精神の転機」です。(また、私は力んでしまいました。志はもちろん大切ですが「動作は弛緩とリズムでしなやかに力まずに」と合宿でアドバイスいただいたのに、、、)



<終わりに>
以上のような次第で、「脳力の転機」と「精神の転機」を再認識する契機となった初動負荷トレーニング合宿を、妻 洋子とともに経験することができました。
鳥取の、小山裕史先生、そして吉田光コーチ、菰田コーチ、田中コーチ、荒川コーチ、みなさま、本当にありがとうございました。
また、鳥取本部に私の課題を申し送りしてくださった、東京池袋の加藤コーチ、渡辺コーチ、達郎コーチ、荻田コーチ、ありがとうございました。

今後の目標として、
①坐骨神経痛の痛み度が15~0の状態になること、
②ウォーキングフォームの改良と100メートルを思いっきり走ってもお尻がいたくならない状態になること、
③「初動負荷ハーレーライディング」(ハーレーで長距離ツーリングやワインディングしても肩や腰がいたくならない走法)を確立すること、
④執着することのないよう「遊行期」を生きる自覚をもち、少しでも若い人や本当に苦しんでいる人を支えながら社会参加を生涯続け、そして逝くこと、

を掲げて、いまから次の合宿参加を楽しみに想像しながら、仕事をしている今日このごろです。

<以  上>